第16話:安心できる場所が少しずつ増えたていったこと


第16話:安心できる場所が少しずつ増えていったこと

前回のおさらい:また誰かと関わってみたいと思えた日

前回(第15話)では、「また誰かと関わってみたい」と感じられたきっかけについて綴りました。

うつ状態の中で、閉ざしていた心がほんの少しずつ外に向けて開きはじめた日々。

関わることが怖い、でも、少しだけ話してみたい——

そんな矛盾する気持ちを抱えながらも、人とのつながりを求める気持ちが芽生えた日々でした。

今回はそこからさらに一歩進み、「安心できる場所が少しずつ増えていったこと」について、丁寧に振り返っていきます。


最初は、安心できる「人」だった

誰かと話すこと自体が怖かった時期を過ぎて、気づけば「この人なら話せる」と思える人が増えていました。

それは、家族だったり、昔の友人だったり、たまたま話しかけてくれたバイト先の人だったり。

深く話さなくてもいい。ただ、その人がそこにいてくれるだけで「大丈夫かもしれない」と思える——

そんな存在が少しずつ、心の中に根を張っていくような感覚でした。


場所に感じた、初めての「安心感」

人の次に、「場所」にも安心を感じるようになったのは、もっと後のことでした。

混雑した電車や、大きなショッピングモールのような場所は、今でもちょっと苦手です。

でも、静かなカフェや、図書館、馴染みのある道を歩くときに、「ここなら落ち着ける」と思える瞬間が増えていきました。

何も特別なことがなくても、自分のペースでいられる場所。

そこにいると、呼吸が深くなる気がしました。


安心の輪郭が、だんだんとはっきりしてきた

「安心できる場所」があるということは、自分にとって本当に大きな支えでした。

うつの真っ只中では、どこにいても不安で、誰といても気を張っていて、「安心」という言葉から最も遠いところにいたように思います。

でも今は、ふとした瞬間に「あ、ここは安心できるな」と感じられる場所が、少しずつ思い浮かぶようになりました。

そしてその場所に、また行きたいと思えること。

それ自体が、自分にとって希望でした。


最後に:もしあなたにも、そんな場所があったなら

「ここなら大丈夫」と思える場所や人が、ひとつでもあること。

それは、決して当たり前じゃなくて、とても大切なことなんだと思います。

そして、今はまだそんな場所が見つからなくても、

ゆっくりでも、きっといつか見つけられると信じています。


次回予告

次回、第17話では、

「自分を責める日が少しずつ減っていったこと」

について綴っていきます。

「自分なんて…」と思っていた頃を思い出しながら、

その感情がどう変化していったのかを振り返っていきます。


前話はこちら

👉 第15話:また誰かと関わってみたいと思えた日


第15話:また誰かと関わってみたいと思えた日


第15話:また誰かと関わってみたいと思えた日


前回のおさらい:生きていてよかったと思えた瞬間

前回(第14話)では、

「生きていてよかった」と感じられた瞬間について綴りました。

うつ状態のなかで失っていた感情が、

ふとした夕暮れの風景の中でよみがえったあの感覚。

「今日はいい日だった」

そんなシンプルな気持ちを、

ようやく受け取れるようになったことは、私にとって大きな転機でした。

そして今回は、その先の変化。

**「誰かと関わってみたいと思えた」**あの日のことを思い出しながら、書いていきます。


孤独が一番“楽”だと感じていた頃

うつが深かった頃、

私は人と関わること自体がしんどくて、怖くて、面倒で仕方なかった。

LINEを返すのも、SNSを見るのも、誰かに声をかけられるのも、

すべてが負担で、逃げるように人との関係を断っていた。

「一人のほうが気がラク」

「誰かと話すなんてもうできない」

そうやって、孤独を選んでいたけれど——

本当は、「誰かと話したい」と思う気持ちを

どこかでずっと持ち続けていたように思います。


小さなきっかけは、コンビニのレジの「ありがとう」だった

ある日、体調が少しだけよかった朝、

久しぶりにコンビニに出かけました。

レジでおにぎりを買って、

店員さんが「ありがとうございます」と微笑んだ瞬間、

胸の奥がなぜかじんわりと温かくなったんです。

それは、他愛もないやりとりだったけど、

その「ありがとう」が、

まるで自分の存在ごと肯定されたような気がして、涙が出そうになった。

「あ、私、こんなふうに誰かと関われるんだ」

そう思ったのは、実に数ヶ月ぶりのことでした。


誰かと関わることが怖くなくなるには、心と体の“土台”が必要だった

人との関わりって、

想像以上にエネルギーを使う。

それを避けてきたのは、心の問題だけじゃなくて、

体の不調や、慢性的な疲れ、気分のムラも大きかった。

少しでも「体調が安定する」だけで、

「人に会いたい」「話してみたい」という気持ちが戻ってきた。

だから私は、

心だけじゃなく体にも気を配るようになりました。


💡 私が飲み始めたサプリメントの話

うつの回復期に、

どうしても体が重くて何もできない日が続いていた頃、

栄養面を少しでも整えようと、軽い気持ちでサプリを取り入れてみました。

最初に試したのが、ビタミンB群と、トリプトファンを含んだリズムサポート系のサプリ。

「劇的に変わる!」なんてことは正直ないけれど、

2週間くらいで朝のだるさが少しマシになってきて、

気分の落ち込みが“底抜け”しにくくなった感覚がありました。

それから、外に出る気力がほんの少し戻ってきたのもこの頃。


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※ 私は一日一粒からスタートしました。今も継続中です。

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少し元気になってきたときこそ、焦らない

「人と関われた」

「ありがとうって言えた」

「ちょっと話してみたいと思えた」

そんな気持ちが出てきたら、それは回復の証拠。

でも、そこでまた「ちゃんと人と関わらなきゃ!」と自分を追い込むと、

今度はそれがプレッシャーになることもあります。

だから、私は“心が動いた”という感覚だけを大事にするようにしました。

「話したい」でも、「聞いてもらいたい」でも、「LINEを返そうかな」でもいい。

それだけで、

人とのつながりを、また受け入れる準備が始まっていると思います。


おわりに

また誰かと関わってみたい、と思えた。

それは、ほんの一瞬の感情だったけど、

私にとってはとても大きな一歩でした。

ひとりでいる時間も、誰かと話す時間も、

どちらも「生きていること」の証のように思えます。

もし今、誰とも話したくないと思っている人がいたら、

それでも大丈夫です。

きっとまた、ふとした瞬間に、

「話してみたいな」と思える日が、そっとやってきます。


次回予告

次回、第16話では、

**「安心できる場所が少しずつ増えていったこと」**について綴っていきます。

自分にとって「ここなら大丈夫」と思える瞬間を、丁寧に思い出していきます。


前話はこちら

👉 第14話:生きていてよかったと思えた瞬間


第14話:生きていてよかったと思えた瞬間


第14話:生きていてよかったと思えた瞬間

前回のおさらい

前回(第13話)では、

「未来を想像するのが怖くなくなったこと」について綴りました。

うつのなかで「未来」は不安や絶望の象徴でした。

でも、「明日コーヒーを飲もう」「来週カーテンを洗おう」——

そんな小さな想像が、未来に優しさを感じさせてくれました。

今回は、その先の話です。

「生きていてよかった」と思えた、ほんの一瞬の出来事について書いていきます。


うつのなかで生きる意味を見失っていた日々

私にとって「生きてる意味」なんて、わからなくなっていました。

布団から出るだけで苦しくて、

鏡に映る自分にイライラして、

他人のSNSを見ては「なんで自分はこうなんだ」と落ち込んで。

そんな毎日を繰り返すうちに、

私は「感じる」ことそのものを手放していたのかもしれません。

「生きているって、なに?」

その答えなんて、見つけられる気がしませんでした。


いつもの夕焼けがくれた、かけがえのない感情

ある日の夕方、帰り道にふと一駅分歩いてみようと思ったんです。

季節は秋。

空は高くて、オレンジと青が混ざるような優しい色をしていて、

公園のベンチに座って深呼吸をしたとき——

風が心地よくて、

遠くから子どもの笑い声が聞こえて、

街路樹の影がゆっくり揺れていて。

そのとき私は、

**「なんか…いいな」**って、心の中で自然につぶやいていました。

理由なんてないけど、

生きていてよかったって、初めて心の底から思えた瞬間でした。


生きる理由は、誰かと比べて見つけるものじゃない

それは特別な日じゃなかった。

記念日でもなく、旅行でもなく、ただの「平日の夕方」。

でもその中に、確かに「生きている感覚」がありました。

成功してる人みたいに輝けなくても、

「すごい人生」じゃなくてもいい。

私にとっての「生きていてよかった」は、

静かに、穏やかに、感情が少しだけ動いたときに訪れました。


また心が沈む日もある。でも、感情は戻ってくる

この瞬間があったからといって、

全部がうまくいくようになるわけじゃありません。

また、何も感じられない朝が来るかもしれないし、

また、自分を責める日もあるでしょう。

でも私は知っています。

この感情は、一度消えても、

ちゃんと、また戻ってくるということを。


うつからの回復は「生きていてよかった」を感じる力の回復

うつ状態から少しずつ回復するなかで、

「生きることって悪くない」と思える日があること。

それは回復の一歩であり、

とても大切な「心のサイン」だと、今なら思います。

たとえ今日がしんどくても、

その日が、きっとまた来ると信じていてください。


次回予告

次回、第15話では、

**「また誰かと関わってみたいと思えた日」**について綴っていきます。

人と距離を置くようになっていた私が、

再び「誰かと話してみたい」と感じた瞬間を振り返ります。


前話はこちら

👉 第13話:未来を想像するのが怖くなくなったこと


外部リンク

▶️ 厚生労働省:うつ病についての基礎知識


第13話:未来を想像するのが怖くなくなったこと


第13話:未来を想像するのが怖くなくなったこと

前回のおさらい

前回(第12話)では、

「うつで無理して笑っていた私が、素直な笑顔を取り戻すまで」

というテーマで、

少しずつ心がほぐれていった日々について綴りました。

無理に笑わなくてもいい、

素直な自分でいてもいい、

そんなふうに心の奥底から思えるようになったことが、

私にとって大きな一歩でした。

今回は、さらにその先の変化、

「未来を想像するのが怖くなくなったこと」

について、丁寧に振り返っていきます。


「未来を考えるだけで苦しくなる」という感覚

うつの真っ只中にいた頃、

未来を想像することは、私にとって苦しみでしかありませんでした。

“この先、私はどうなってしまうんだろう”

“生きている意味はあるんだろうか”

“10年後の自分なんて、とても想像できない”

そんな思いがぐるぐると頭を支配していて、

未来を考えるたびに、

息が苦しくなって、

胸の奥がぎゅっと締め付けられるような感覚になっていました。

未来は、希望ではなく、

ただの「怖さ」や「不安」を詰め込んだ箱のようなものでした。


小さな未来を描く練習

そんな中でも、

ほんの少しずつ、私は練習を始めました。

大きな未来を描こうとするのではなく、

もっともっと、目の前の小さな未来だけを思い描く。

たとえば——

  • 明日の朝、温かいコーヒーを飲むこと
  • 来週、好きな漫画を一冊読むこと
  • 今月中に、部屋のカーテンを洗濯すること

そんな、小さくて、誰にも見えない未来を、

心の中でそっと想像する。

それが、私にとっての「未来へのリハビリ」でした。


「未来は味方かもしれない」と思えた日

そうして小さな未来を積み重ねていくうちに、

少しずつ、自分の感覚が変わっていくのを感じました。

未来を考えることは、

怖いことでも、苦しいことでもなくなっていったのです。

“未来って、もしかしたら、優しいものかもしれない”

“まだ知らないだけで、あたたかい何かが待っているかもしれない”

そんなふうに、

未来に対して、少しずつ希望の色を見いだせるようになりました。

もちろん、今でも不安になることはあります。

でも、未来を「全部怖いもの」だと決めつけていた頃とは違います。

未来には、まだ知らない優しさや、

思いがけない嬉しさが、

ちゃんと待っている——

そう、今の私は信じられるようになったのです。


おわりに

未来を想像することが、もう怖くなくなった今。

私は、「未来は味方だ」とまでは言い切れないけれど、

少なくとも「未来は敵じゃない」と思えるようになりました。

今を一生懸命に生きること。

今日できる小さなことを大切にすること。

それが、未来を少しずつ、優しいものに変えていく——

そんなふうに感じています。

もし今、未来が怖くてたまらない人がいたら、

どうか、今日だけを、明日だけを、

そっと思い描いてみてください。

あなたの未来は、まだ決まっていません。

そして、

きっと、あなたが思っているよりも優しいものです。


次回予告

次回、第14話では、

「生きていてよかったと思えた瞬間」

についてお届けします。

また一緒に、小さな希望を見つけにいきましょう。


前話はこちら

👉 第12話:うつで無理して笑っていた私が、素直な笑顔を取り戻すまで


第12話:うつで無理して笑っていた私が、素直な笑顔を取り戻すまで


第12話:うつで無理して笑っていた私が、素直な笑顔を取り戻すまで

前回のおさらい

前回(第11話)では、「人と話すことが怖くなくなったこと」について綴りました。

小さな一言から始めたコミュニケーションが、

少しずつ人とのつながりへの怖さを和らげてくれた──

そんな体験をお話ししました。

今回は、さらに心の変化に踏み込んで、

**「無理して笑わなくなったこと」**について書いていきます。


うつで「笑わなきゃ」と自分を追い詰めていた日々

うつ状態のとき、

私は常に**「笑わなきゃいけない」**と思っていました。

  • 周りに心配をかけたくない
  • 「元気そうだね」と言われたい
  • 変に思われたくない

そんな理由で、心では泣きそうなのに、

無理やり口角を上げて、笑顔を作っていました。

でも、作り笑いをすればするほど、

心はどんどん疲れていきました。

「本当はしんどいのに、なんで笑ってるんだろう」

「笑顔の仮面をかぶっている自分が気持ち悪い」

そう思いながら、

さらに「ちゃんとしなきゃ」と自分を追い込む悪循環。

「うつ 笑えない」「うつ 笑顔 つらい」

そんな感情に、私はずっと苦しめられていました。


無理に笑わなくてもいい、と気づけたきっかけ

ある日、何気なく見たSNSの中に、こんな言葉がありました。

「笑えない日があってもいい。

泣きたいなら泣けばいい。

あなたは、それだけ頑張ってきたんだから。」

その一言を読んだ瞬間、

胸の奥に抱えていたものが、ぐしゃっと崩れた気がしました。

「笑えないなら、無理に笑わなくていい。」

「今の自分を、そのまま受け止めていい。」

それは、うつになってから初めて、

自分の本音を許してあげられた瞬間だったと思います。


うつの回復と「素直な感情を取り戻す」過程

無理に笑うことをやめた私は、

最初、素っ気なく見えたり、愛想が悪く見えたりすることもありました。

でも、だんだんと気づきました。

  • 無理に作った笑顔より、素直な表情の方がずっと楽
  • 何も話せない時間があっても、それはそれでいい
  • ありのままの自分を受け入れてくれる人が、少しずつ増えていく

「笑わなきゃ」という呪縛から解放されたとき、

心にも身体にも、ほんの少し余裕が生まれた気がしました。


サプリメントの力も、少し借りながら

この時期、私は生活のリズムを整えるために、

リラックスサポート成分配合のサプリを試していました。

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もちろん、サプリだけですべてが良くなるわけではありません。

でも、夜に少しリラックスできたり、

心のざわつきがほんの少し落ち着く感覚があったのは、

確かに大きな支えになっていました。

心と体の両方に、少しでもやさしくすること。

それが、私にとっての回復の一歩だったのだと思います。


無理して笑わない。それが私の「本当の笑顔」

今でも、

人といるときに気を遣いすぎることもあるし、

沈んだ気持ちになる日もあります。

でも、無理に笑うことはしません。

笑いたいときに笑う。

泣きたいときは泣く。

それができるようになった今、

私はやっと、「自分とちゃんと一緒に生きている」と感じることができています。

「笑顔でいなきゃいけない」なんて、誰が決めたんだろう。

そんな呪縛を捨ててからのほうが、

ずっと自然で、ずっとあたたかい生き方ができるようになりました。


次回予告

第13話:「未来を想像するのが怖くなくなったこと」

かつては「この先どうなってしまうんだろう」と未来を考えるだけで怖くなっていた私。

でも少しずつ、「未来を思い描くこと」に前向きになれた日々について、

次回は丁寧に綴っていきます。


←前話はこちら

🔗 第11話:うつで人と話すのが怖かった私が、少しずつ変われた話


第11話:うつで人と話すのが怖かった私が、少しずつ変われた話


第11話:うつで人と話すのが怖かった私が、少しずつ変われた話

前回のおさらい

前回(第10話)では、「小さな喜びを感じられる日が増えたこと」についてお話ししました。

何も感じられなかった世界の中に、

ほんの少しの「うれしい」「楽しい」という気持ちが戻ってきたことは、

回復への大切なサインでした。

今回は、さらにもう一歩。

**「人と話すことが怖くなくなったこと」**について綴っていきます。


うつで人と話すのが怖かった日々

うつ状態のとき、

私は**「人と話すのが怖い」**という気持ちにずっと苦しめられていました。

  • 何を話せばいいかわからない
  • 変に思われたらどうしよう
  • 自分のダメな部分がバレるのが怖い

そんな恐怖心が常に頭の中を支配していて、

誰かに話しかけられるだけで、心臓がバクバクする。

人と目を合わせるのも怖くて、下を向いてばかりいました。

特に、何気ない雑談が苦痛でした。

みんな楽しそうに会話している中で、

自分だけが世界に置いていかれているような孤独感。

「どうせ自分なんか、必要とされていないんだろうな」

そんな思いが心の奥底に根を張って、

さらに人を避ける悪循環に陥っていました。


少しずつ、「人と話す怖さ」がやわらいだきっかけ

転機は、本当に些細なことでした。

ある日、コンビニの店員さんに

「ありがとうございます」と言われたとき、

ふと、胸の中に小さな温かさが灯った気がしたんです。

「ああ、誰かと交わす言葉って、こんなにもあたたかいんだな。」

それは特別な会話でも、深い話でもありませんでした。

でも、その一言が、

人と話すことへの恐怖心に、ほんの小さなひびを入れてくれた気がしました。

そこから私は、意識して「小さな会話」を積み重ねる練習を始めました。

  • スーパーのレジで「お願いします」と伝える
  • カフェで「ごちそうさまでした」と言ってみる
  • すれ違った近所のおばあちゃんに軽く会釈する

最初は緊張で手が震えることもあったけど、

それでも「話しかけても世界は壊れなかった」という成功体験が、

少しずつ怖さを溶かしていってくれました。


うつからの回復と「人間関係のリハビリ」

うつの回復過程で、

人間関係も「リハビリ」が必要だったと、今は思います。

  • いきなり深い話をしなくていい
  • 無理に話題を作らなくていい
  • ただ「こんにちは」と言うだけでもいい

そんなふうにハードルを下げていったことで、

私は少しずつ、人と関わることへの恐怖心を手放していきました。

そしてなにより、

「誰とでもうまく話さなきゃいけないわけじゃない」

「苦手な人がいても、別にいいんだ」

そう思えるようになったことで、

心がずっと楽になったのです。


人と話すことが怖くなくなった今、思うこと

今でも、大勢の人と話すのはあまり得意ではありません。

初対面の場では緊張することもあります。

でも、それでいい。

完璧じゃなくていい。

うまく話せない日があってもいい。

うつで「人と話すのが怖い」と感じていた過去の自分に、

今の私はこう伝えたいです。

「大丈夫。少しずつ、できるようになるから。」

「たった一言でも、あなたは世界とつながっている。」

人と話すことの温かさを、

もう一度感じられるようになった今、

私は確かに、生きる世界を取り戻しつつあります。


次回予告

第12話:「無理して笑わなくなったこと」

ずっと「笑わなきゃ」「明るくしなきゃ」と自分を追い詰めていた日々。

でも、無理に笑わず、素直な自分でいられる時間が増えた経験について、

次回は綴っていきます。


←前話はこちら

🔗 第10話:小さな喜びを感じられる日が増えたこと


第10話:小さな喜びを感じられる日が増えたこと


第10話:小さな喜びを感じられる日が増えたこと(ロング拡張版)

前回のおさらい

前回(第9話)では、「休んでもいいと思えたこと」について綴りました。

無理に頑張らなくてもいい。

立ち止まることも、前に進むために必要な大切な行動だということ。

そんな心の変化を、少しずつ受け入れられるようになりました。

今回は、さらにその先──

**「小さな喜びを感じられる日が増えてきたこと」**について、お話ししていきます。


何も感じられなかった日々

うつ状態がひどかった頃、

私は、嬉しいとか、楽しいとか、そんな感情をほとんど感じられなくなっていました。

  • 好きだったはずの音楽を聴いても、心が動かない
  • きれいな景色を見ても、「だから何?」と思ってしまう
  • 笑うことも、泣くことすらできない

世界がモノクロに見える。

周りだけが色づいて、自分だけが透明になったみたいな感覚。

それが、どれだけつらいことだったか。

今振り返っても、胸が苦しくなるくらいです。

「何も感じられない自分」は、

人間として何か大事なものを失ってしまったような、そんな絶望感を抱えていました。


「嬉しい」と思えた、ほんの小さな瞬間

そんな私に、少しずつ、ほんの小さな変化が訪れました。

ある朝、カーテンの隙間から差し込む光を見たとき、

ふと、心の奥にあたたかいものが流れ込んできた気がしたんです。

「ああ、今日もちゃんと朝が来たんだ。」

それは本当に、ささやかな感情でした。

でも、あの頃の私にとっては、それだけで涙が出そうなくらい嬉しかった。

その日から、

  • 好きだった音楽をまた聴いてみようと思ったり
  • 近所の公園を散歩してみたり
  • 小さな花に目を留めるようになったり

世界の色が、ほんの少しだけ戻ってくる瞬間が増えていったのです。


「小さな喜び」を見つける練習

正直に言うと、

最初からうまく「喜び」を感じられたわけではありません。

意識しないと、すぐにまた不安や虚無感に引きずられそうになる。

だから私は、意識して「小さな嬉しいこと」を探すようにしました。

たとえば──

  • 今日のごはん、ちょっと美味しかったな
  • ふと吹いた風が気持ちよかったな
  • 鳥の声がきれいだったな

そんな「ちょっといいな」を、無理に大きくしなくていい。

ただ、「あ、今、ちょっと嬉しかったかも」と気づくだけでいい。

そうやって、自分の中にある小さな光を、

少しずつ、少しずつ拾い集めるようにしていきました。


喜びは「取り戻す」ものじゃない。「思い出す」ものだった。

うつになったとき、私は「元に戻りたい」と必死に思っていました。

でも、必死になればなるほど、苦しくなっていました。

今になって思うのは、

喜びは「取り戻す」ものじゃなかったんだ、ということ。

本当は、

ずっと自分の中にあったものを、思い出していく作業だった。

たとえ心が傷ついても、

たとえ何も感じなくなったとしても、

私の中には、ずっと小さな喜びを感じる力が残っていた。

それに気づけたことが、

私にとって、回復への何よりの希望になりました。


小さな喜びが、少しずつ世界を変えていく

「小さな喜び」を感じられる日が増えたことで、

世界の見え方が少しずつ変わっていきました。

  • 無理にポジティブにならなくてもいい
  • 大きな夢を持たなくてもいい
  • ただ、今日の中にある小さな幸せを見つければいい

そんなふうに思えるようになったとき、

私はやっと、

「生きること」が怖くなくなった気がしました。

今も、毎日が完璧に輝いているわけじゃありません。

落ち込む日も、何も感じない日も、もちろんあります。

でも、それでもいい。

また、きっと小さな喜びに出会えると信じられるから。

そう思える自分になれたことを、今は心から誇りに思っています。


次回予告

第11話:「人と話すことが怖くなくなったこと」

長い間、人と関わることに強い怖さを感じていた日々。

でも少しずつ、「人と話すこと」への恐怖心が和らいでいった瞬間について、

次回は綴っていきます。


←前話はこちら

🔗 第9話:休んでもいいと思えたこと


第9話:休んでもいいと思えたこと


第9話:休んでもいいと思えたこと

前回のおさらい

前回(第8話)では、「不安があっても眠れる日が増えたこと」について綴りました。

眠れない夜に焦らず、ただ目を閉じて休むだけでもいい──

そんなふうに自分を許せるようになったことは、心にとって大きな回復の一歩でした。

今回はさらに、

**「休むこと自体を肯定できるようになった経験」**について、

私自身の体験をもとに、お話ししていきます。


「休んではいけない」と思い込んでいた日々

うつ状態になったとき、

私は何よりもまず、**「休むことへの罪悪感」**に苦しみました。

  • 「みんな頑張っているのに、自分だけ休んでいいわけがない」
  • 「何もしない自分なんて、存在する価値がない」
  • 「怠け者だと思われたらどうしよう」

そんな思いが、頭の中をぐるぐると支配していました。

本当は心も体もボロボロで、

もう立っているのがやっとだったのに、

「休んだら負けだ」と自分を追い詰め続けていたのです。

結果、

無理に動こうとして、すぐにエネルギー切れを起こして、

自己嫌悪と絶望に沈む──

そんな悪循環を、何度も何度も繰り返していました。


「休んでもいい」と教えてくれた言葉

そんなとき、ふと手に取った本の中に、こんな一文がありました。

「休むことは、怠けることではない。

休むこともまた、前に進むための大切な行動だ。」

初めて読んだとき、

心に小さな波紋が広がったのを覚えています。

休むことは「後ろ向き」なことじゃない。

休むことは「進むために必要な準備」なんだ。

その言葉を、すぐには信じられませんでした。

でも、何度も何度も読み返していくうちに、

少しずつ、心の中に入り込んでいきました。


休む勇気を持った日

ある日、どうしても体が動かなかった日がありました。

これまでは無理にでも立ち上がろうとしていた私が、

その日は初めて、

「今日は休んでいい」と自分に許可を出しました。

  • ベッドの中で、ただ天井を眺める
  • ぼーっとしながら、ゆっくり呼吸する
  • 誰にも連絡せず、ただ静かに過ごす

最初は罪悪感でいっぱいでした。

「こんなことでいいのか」と自分を責める声も消えなかった。

でも、

時間が経つにつれて、少しずつ、

心がふわっと軽くなっていくのを感じたんです。

何もしなくても、

ここにいるだけでいい。

今は、それだけで十分なんだ。

そう思えたとき、

胸の奥にあった苦しさが、少しだけ溶けた気がしました。


休むことを肯定できたら、世界が変わった

それから私は、意識して「休む」時間を取るようにしました。

  • 疲れたら、無理せず横になる
  • 予定を詰め込みすぎない
  • 「休みたい」と感じたら、素直に休む

最初の頃は、まだ戸惑いもありました。

でも、少しずつ、少しずつ──

休んでも、自分は消えない。

休んでも、誰も怒らない。

休んだあとは、ちゃんとまた歩き出せる。

そんな当たり前のことに、

私はやっと気づくことができました。

そして何より、

休んだことで、

自分に優しくなれる時間が確実に増えたのです。


「休む」=「生きるための力」

うつを経験して心から思うのは、

休むことは、ぜんぜん悪いことじゃないということ。

むしろ、

生きるために必要な大切な力なんだということ。

疲れたら休む。

苦しくなったら立ち止まる。

また少し元気が出たら、歩き出す。

それでいい。

それで、ちゃんと生きていける。

今の私は、心からそう思っています。

もし今、休むことに罪悪感を感じている人がいるなら、

この言葉を届けたい。

「休んでいいよ。

あなたは、ちゃんと生きている。

それだけで、十分すごいことだから。」


次回予告

第10話:「小さな喜びを感じられる日が増えたこと」

ほんの些細なことでも「うれしい」と思えた瞬間。

生きる世界が少しだけ色づき始めた日々について、

次回は綴っていきます。


←前話はこちら

🔗 第8話:不安があっても眠れる日が増えたこと


第8話:不安があっても眠れる日が増えたこと


第8話:不安があっても眠れる日が増えたこと

前回のおさらい

前回(第7話)では、「自分を否定しない日が増えたこと」について綴りました。

何もできない自分も受け入れて、少しずつ肩の力を抜くことができるようになったこと。

それは、私にとって小さな、でも確かな回復の兆しでした。

今回は、さらに一歩進んで──

**「不安があっても眠れる日が増えたこと」**について、

私自身のリアルな体験をもとにお話しします。


夜が来るのが怖かった

うつ状態が深刻だった頃、

夜が近づいてくると、決まって心がざわざわし始めました。

昼間は、まだどうにか気を紛らわせることができました。

テレビをつけたり、無理にスマホを眺めたり、

ただぼーっとして時間をやり過ごすこともできた。

でも、日が暮れると、

どこからともなく、圧倒的な孤独感が押し寄せてきたのです。

「今日も何もできなかった」

「こんな自分がこの先、生きていけるんだろうか」

「また眠れない夜が来る」

布団に入っても、全然落ち着かない。

目を閉じても、次々とネガティブな思考が浮かんできて、

気づけば心臓がドクドクと早鐘を打ち、

汗ばむ手のひらをギュッと握りしめていました。

時計を見るたびに、「また眠れない」と焦りが増す。

そんな夜を、何度も何度も経験しました。


「眠らなきゃ」と思うほど眠れなくなる地獄

「早く寝なきゃ」

「明日のためにちゃんと寝ないと」

そう思えば思うほど、逆に目が冴えていく。

脳だけがぐるぐると回り続け、

身体は疲れているのに、意識だけがいやに覚醒してしまう。

当時の私は、

眠れない自分を責めることで、さらに眠れなくなるという、最悪のスパイラルに陥っていました。

そして、そんな自分をまた責めてしまう──

「なんで普通のことができないんだろう」

「どうして眠ることすらできないんだろう」

まるで出口のない迷路を、

夜ごとさまよっているような感覚でした。


小さな工夫、小さな変化

そんな毎日を少しでも変えたくて、

私は「大きな変化」を求めるのをやめ、

小さな工夫を一つずつ試してみることにしました。

たとえば──

  • 夜9時以降はスマホを見ない(不安情報を遮断する)
  • 白湯を飲んで身体をあたためる
  • リラックスできる音楽や自然音を小さく流す
  • 「眠る」のではなく「休む」を目標にする
  • サプリを飲んでみる

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これらを一度に完璧にやるのではなく、

「今日はこれだけやってみよう」と、

自分に優しく、小さなハードルを作っていきました。

最初のうちは、ほとんど変化は感じられませんでした。

眠れない日も、やっぱりたくさんありました。

でも、続けているうちに、

ふと「昨日より少し楽だったかも」と思える夜が増えていったのです。


眠れる日が「ゼロ」じゃなくなったことの大きさ

初めて、数時間まとまって眠れた夜。

目が覚めたとき、まだ暗い部屋の中で、私は静かに涙を流しました。

それはうれしさというより、

**「まだ自分は生きてるんだ」**という、

静かな実感でした。

眠れたことで、少しだけ体に力が戻る。

少しだけ心に余裕ができる。

  • 朝の空気が、少しだけ心地よく感じられる
  • ご飯を食べる気力が、ほんの少しだけ湧いてくる
  • 今日は短い散歩なら行けそうかな、と思える

そんな、ほんのわずかな「生きる力」が、

眠れるようになったことで、戻ってきたのです。


不安があっても、大丈夫になった

今でも、完璧にぐっすり眠れるわけではありません。

夜に不安になる日も、もちろんあります。

でも、今は焦らない。

「眠れなかったらどうしよう」と恐れない。

「目を閉じて休んでいるだけでも、体はちゃんと回復している」

「大丈夫。明日、また新しい一日が始まる」

そう自分に言い聞かせることで、

たとえ不安があっても、眠りを受け入れられるようになりました。

不安を完全に消すことはできない。

でも、不安を抱えたままでも、

前に進める方法を、自分なりに見つけることはできる。

今の私は、そう信じています。


次回予告

第9話:「休んでもいいと思えたこと」

ずっと走り続けなければならないと思っていた。

でも、「立ち止まることも、生きるために必要なこと」だと気づいた瞬間がありました。

次回は、休むことへの罪悪感と向き合った日々について綴ります。


←前話はこちら

🔗 第7話:自分を否定しない日が増えたこと


第7話:自分を否定しない日が増えたこと


第7話:自分を否定しない日が増えたこと

~「このままでもいい」と思えた瞬間~

第6話では、「笑える日が増えてきたこと」について書きました。

心が少しずつ柔らかくなって、何気ない会話やテレビの中に「楽しい」と思える瞬間が戻ってきた。

その変化が、これまでの暗い日々にひと筋の光を差し込んでくれたように感じました。

そして今回は、もう一歩進んで、「自分を否定しない日が増えたこと」について綴ってみたいと思います。


ずっと、自分のことが嫌いだった

うつが深かった頃、私は常に「なんでこんな自分なんだ」と思っていました。

・朝起きられない

・何も手につかない

・人と話すのが怖い

・心が動かない

そんな自分が情けなくて、恥ずかしくて、腹立たしくて、

毎日自分のことを責めるように生きていました。

「こんなの、俺じゃない」

「もっと頑張れよ」

「怠けてるだけだろ?」

心の中で、そんな言葉を何百回も自分に向けていたと思います。


「このままでもいいかも」と思えた朝

ある日の朝、なんとか起きて、洗面台で顔を洗っていたとき、

鏡に映った自分がふと、やつれて見えました。

でもそのとき、こう思ったんです。

「よくここまで来たな」

「今の自分も、それなりに頑張ってるじゃん」

それは突然の感情でした。

「もっと頑張らなきゃ」と言い続けてきた自分が、

はじめて自分に「おつかれ」と言ってくれたような、そんな感覚でした。


否定しないって、許すことじゃない

「自分を否定しない」って言うと、

なんだか甘やかしているように聞こえるかもしれません。

でも実際は、逆でした。

否定しないことで、ようやく冷静に「今の自分」を見つめられるようになった。

そうしたら、足りないところも、できないことも、少しずつ整理できてきたんです。

無理に背伸びするのではなく、

自分のペースでいいんだと、そう思えるようになってきました。


「自分でいい」と思えるための小さな工夫

私が少しずつ自己否定から抜け出せたのは、以下のような習慣があったからです:

  • SNSを1日だけ完全に見ない日をつくる
  • 「人と比べたくなる環境」から少し距離を置く
  • 一つでも「できたこと」をメモに書いておく
  • 朝に白湯を飲んで、深呼吸から始める
  • サプリメントなどで栄養のベースを支える(→ 実際に使っていたものはこちら)

特に「〇〇できた自分もOK」と、言葉にしてあげることは、心の整理にとても効果的でした。


自分と和解することから、すべてが始まった気がする

うつと向き合っていく中で、外の世界と向き合う前に、

まずは「自分」との関係を見直す必要があったんだと思います。

どんな自分も、否定せず受け止めてあげられるようになったとき、

ようやく「生きていてもいいのかもしれない」と思えるようになったのです。


次回予告

第8話:「不安があっても眠れる日が増えたこと」

心がざわざわしていた夜、眠るのが怖かった時期。

でも、小さな工夫や意識の変化で、「眠る」という行為が怖くなくなった日々。

次回は「眠れるようになったこと」について丁寧に綴ります。


🔙前話はこちら

👉 第6話:笑える日が増えたこと