第10話:小さな喜びを感じられる日が増えたこと(ロング拡張版)
前回のおさらい
前回(第9話)では、「休んでもいいと思えたこと」について綴りました。
無理に頑張らなくてもいい。
立ち止まることも、前に進むために必要な大切な行動だということ。
そんな心の変化を、少しずつ受け入れられるようになりました。
今回は、さらにその先──
**「小さな喜びを感じられる日が増えてきたこと」**について、お話ししていきます。
何も感じられなかった日々
うつ状態がひどかった頃、
私は、嬉しいとか、楽しいとか、そんな感情をほとんど感じられなくなっていました。
- 好きだったはずの音楽を聴いても、心が動かない
- きれいな景色を見ても、「だから何?」と思ってしまう
- 笑うことも、泣くことすらできない
世界がモノクロに見える。
周りだけが色づいて、自分だけが透明になったみたいな感覚。
それが、どれだけつらいことだったか。
今振り返っても、胸が苦しくなるくらいです。
「何も感じられない自分」は、
人間として何か大事なものを失ってしまったような、そんな絶望感を抱えていました。
「嬉しい」と思えた、ほんの小さな瞬間
そんな私に、少しずつ、ほんの小さな変化が訪れました。
ある朝、カーテンの隙間から差し込む光を見たとき、
ふと、心の奥にあたたかいものが流れ込んできた気がしたんです。
「ああ、今日もちゃんと朝が来たんだ。」
それは本当に、ささやかな感情でした。
でも、あの頃の私にとっては、それだけで涙が出そうなくらい嬉しかった。
その日から、
- 好きだった音楽をまた聴いてみようと思ったり
- 近所の公園を散歩してみたり
- 小さな花に目を留めるようになったり
世界の色が、ほんの少しだけ戻ってくる瞬間が増えていったのです。
「小さな喜び」を見つける練習
正直に言うと、
最初からうまく「喜び」を感じられたわけではありません。
意識しないと、すぐにまた不安や虚無感に引きずられそうになる。
だから私は、意識して「小さな嬉しいこと」を探すようにしました。
たとえば──
- 今日のごはん、ちょっと美味しかったな
- ふと吹いた風が気持ちよかったな
- 鳥の声がきれいだったな
そんな「ちょっといいな」を、無理に大きくしなくていい。
ただ、「あ、今、ちょっと嬉しかったかも」と気づくだけでいい。
そうやって、自分の中にある小さな光を、
少しずつ、少しずつ拾い集めるようにしていきました。
喜びは「取り戻す」ものじゃない。「思い出す」ものだった。
うつになったとき、私は「元に戻りたい」と必死に思っていました。
でも、必死になればなるほど、苦しくなっていました。
今になって思うのは、
喜びは「取り戻す」ものじゃなかったんだ、ということ。
本当は、
ずっと自分の中にあったものを、思い出していく作業だった。
たとえ心が傷ついても、
たとえ何も感じなくなったとしても、
私の中には、ずっと小さな喜びを感じる力が残っていた。
それに気づけたことが、
私にとって、回復への何よりの希望になりました。
小さな喜びが、少しずつ世界を変えていく
「小さな喜び」を感じられる日が増えたことで、
世界の見え方が少しずつ変わっていきました。
- 無理にポジティブにならなくてもいい
- 大きな夢を持たなくてもいい
- ただ、今日の中にある小さな幸せを見つければいい
そんなふうに思えるようになったとき、
私はやっと、
「生きること」が怖くなくなった気がしました。
今も、毎日が完璧に輝いているわけじゃありません。
落ち込む日も、何も感じない日も、もちろんあります。
でも、それでもいい。
また、きっと小さな喜びに出会えると信じられるから。
そう思える自分になれたことを、今は心から誇りに思っています。
次回予告
第11話:「人と話すことが怖くなくなったこと」
長い間、人と関わることに強い怖さを感じていた日々。
でも少しずつ、「人と話すこと」への恐怖心が和らいでいった瞬間について、
次回は綴っていきます。