第24話:うつで甘えるのが怖かった私が、初めて素直になれた日


🟢 第24話:うつで「甘えるのが怖かった私」が、初めて素直になれた日

── 誰かの優しさに、少しだけ心を預けられた日


🍂「大丈夫」と言うのが、私の防衛本能だった

うつ状態になってからというもの、

人と話すときに「大丈夫です」と言うのが習慣のようになっていました。

本当は、

✔ 疲れている

✔ 気持ちが重い

✔ 体がしんどい

✔ 頭がぼんやりする

そんな状態が日常の中にあったのに、

誰かと話すときは、なぜかいつも「大丈夫そうな顔」で返してしまう。

――「迷惑かけたくない」

――「気を遣わせたくない」

――「話しても、どうせ伝わらない」

そんな気持ちが、いつの間にか自分を縛っていました。


☁ 誰にも頼れない日々は、思っているより孤独です

大学に通っていたころ、

人間関係はうまくいっているように見えても、

内側ではずっと、誰とも深くつながれていない感覚がありました。

何かを相談することもなく、

グループの中でも「聞き役」に徹して、

感情を吐き出す場所も作らずに、ただただ毎日をこなしていました。

「ひとりが楽」と思っていたのも、

実は“誰かと関わるのがこわい”という防衛だったのかもしれません。


🟨 きっかけは、なんでもない帰り道でした

ある日、授業が終わったあと。

特に仲が良いわけでもない子と、偶然帰り道が同じになりました。

他愛もない話をしながら歩いていたそのとき、

ふとその子が私の顔を覗き込んで、こう言いました。

「最近、ちょっと顔色悪くない?」

――一瞬、心がざわつきました。

でも、驚いたのはその後の自分の反応でした。

「あー、そうかもね」

私は、笑いもせず、否定もせず、ただそう返していました。


🍵 甘えたというより、肩の力が抜けた感じ

普段の私なら、「全然平気」「疲れてないよ」と笑って答えていたはずなのに、

そのときだけは、そうしませんでした。

なぜかその瞬間だけ、

「ちゃんと元気なフリ」をするのが、どうでもよくなったのです。

その子は特にそれ以上は深掘りせず、

「そっか」とだけ返して、会話はそのまま流れていきました。

でもその「そっか」が、すごくちょうどよかった。

無理に励まされるわけでもなく、

心配しすぎるわけでもなく、

ただ、「そうなんだ」と受け取ってくれる空気。

それが、私にとってはすごく救いになったのです。


🌙「人に甘える」って、こういうことかもしれない

私はずっと、「甘える=わがまま」と思っていました。

誰かに頼ったり、弱さを見せたりするのは、

「ダメな自分を晒すこと」だと感じていたのです。

でも、あの日。

たった一言、「そうかもね」と返しただけで、

ずっと背負っていたものが、ほんの少しだけ軽くなった気がしました。

甘えるって、もっと静かで、自然で、

「言葉にしすぎない優しさ」に、身を預けることなのかもしれません。


📌 自分ひとりで頑張り続けてる人へ伝えたいこと

ここからは、もし今、あなたが「誰にも頼れない」と感じているなら――

過去の自分から、あなたに伝えたいことがあります。


● 頼るのが苦手でも、大丈夫です

私も、うまく言葉にできませんでした。

「助けて」とは言えなかったし、

「しんどい」と口にするのもこわかった。

でも、全部話さなくてもいいんです。

たった一言、たとえば「最近ちょっと疲れてる」と言えたら、

それはもう、十分な変化です。


● わかってくれる人は、たぶん一人で十分です

多くの人に理解されなくてもいい。

ただ一人、あなたの言葉を受け止めてくれる人がいれば、

その人が、あなたにとっての“安心の場所”になります。


● ちゃんと「素直になれる瞬間」は、突然やってきます

準備もいらないし、特別な人でなくてもいいんです。

ふとした会話の中で、気づけば肩の力が抜けて、

いつもの「大丈夫」が言えなくなる日がきます。

それが、回復の始まりかもしれません。


💡 そして今、私はこう思っています

私はあの日、あの子に甘えたというより、

「強がるのをやめた」だけだったのだと思います。

でも、そのわずかな変化だけで、

自分の中の「人に頼れない壁」が少しずつ崩れていきました。

あれから時間は経ちましたが、

今でも思い出すと、あの帰り道が心に残っています。


🔚 おわりに:優しさを受け取ることは、強さです

誰かの優しさに素直に甘えられたあの日。

それは「助けて」と声をあげた日ではなく、

ただ、“頑張ってるフリ”をやめただけの日でした。

でもそれだけで、何かが変わったんです。

少しずつですが、私は人との距離を見直せるようになりました。

人に甘えることは、決して弱さではありません。

むしろ、自分のしんどさを受け入れ、

それを誰かと共有できる“強さ”だと、今は思えます。


▶︎ 前回:支えてくれる存在に気づけた日を読む

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